私の好きな本⑤『人生のほんとう』池田晶子

池田晶子である。

その名を口にすると、30度曲がっていた猫背がしゃんと伸び、瞳孔が開き、世界がクリアな色合いに染まるのを感じる。足下は床が抜け、生まれ落ちる前から、そして生まれ落ちてからもずっと、自分という存在は「宙吊り」だったことを思い出す。怖い。でもこの感じはきっと「本当」に近い。

『人生のほんとう』について何か書けるだろうか。

僕は若かりし頃に池田晶子の著した本から決定的な(と言うべきか)影響を受けているし、著作はほぼ全て読んでいるし、や、著作をほぼ全て読んでいようといまいと、池田晶子について考えることは「此の世界について考えること」とほぼ同義であるということに変わりはないのだが、そんなことをつらつら書いても、おそらくこれを読んでくださっている(とてもありがたい)方々の興を惹くことはできないだろう。

そういうわけで、池田晶子最初の1冊としては比較的読みやすい本書を選んだついでに、この本にまつわる私的な思い出話を少し書いてみたい。

人生のほんとう(トランスビュー)

 1 サイン会
「サイン会」という催しに行ったことはありますか?

書店で新刊を購入し、抽選券を手に入れ、著者の座っている机に向かってファンが本を手に列を作る、あれです。

昨今、著者による書店宛てのサインが最初から入っている「あらかじめサイン本」を見かけることも多いですが、リアルタイムで直截的な、昔ながらの「サイン会」もまだ行われているはず。「はず」というのは、なにぶんこのご時世ですから、昨年頃からずいぶん少なくなったに違いないので……。

そう、サイン会。僕はこれまでの人生においていっぺんだけ赴きました。2006年7月。会場は今はなきリブロ池袋本店。

誰のサイン会か? 言うまでもなく、池田晶子さんのです。

「サイン会」というものに、きっとこの人生において縁はあるまい……そう確信していた私めですが、吉祥寺『リブロ』(かつてパルコ地下2階にありました)で購入した新刊『人生のほんとう』に挟まれていた簡素なフライヤーを見た時は心が動いた。

7月◦◦日 池田晶子サイン会
場所・リブロ池袋本店 18時~(ご希望の方は本書を持ってお越しください)

や、前日までは行かないつもりだったんです。著者近影などで見る池田晶子さんはきりっとしたたいそう美しい人だけど、僕はあくまで彼女の著した本に心を動かされていたのであって、姿を一目見るとか、サインをもらうとか、握手するとか、そうした行為には1ミリの興味もなかった、はず。

それにしても、『池田晶子サイン会』……。彼女のことを少しでも知っている人にはきっとわかってもらえるのではないか、このシュールさ、可笑しみ。字面だけで軽い笑いがこみあげてくる。池田晶子のサイン会? そんなのアリか?

前日、いつものようにお酒をきこしめして眠ろうとしても、うまく寝つけませんでした。明日、この本を持って池袋に行けば生きた池田晶子に会える。そう思うとどうにもそわそわしてしまって。また、その日に限っていつもの地元の本屋ではなく、たまたま吉祥寺リブロで新刊を購入しなかったら、サイン会の開催自体を知ることもきっとなかったんだと思うと、何か運命めいたもの(大袈裟ですが……)を感じてしまって。

それで、ひとまず夜明け前から池田晶子さんに向けた私信を書き始めたのです。

どうにか書き上げたものの、昼前になっていました。サイン会は夕方6時スタート。迷いましたね。徹夜だし、池袋だし、夜は店仕事もあるし。書くだけで、結局出さずにおいたファンレターというのも、悪くないんじゃないか……? などと、ギリギリまで「行かない」方向に持っていこうとした。

でも、『人生のほんとう』をもっぺん読み返してみたら、やっぱり行ってみようかな……そんな気持ちがだんだん高ぶってきました。「一期一会」「出会いの奇跡」というのも池田さんの本から学んだことだから。

それで、結局一睡もせず、電車に揺られて池袋に向かいました。

2『REMARK』
開始30分前に着いて、驚いた。

池田晶子さん本人と書店員さん以外は誰もいなかったんです。

や、数人いたにはいたのですが、誰も列に並ばず、池田さんの本片手に、周囲をウロウロしている。最前列に並ぶことに躊躇いがあったのかもしれません。わかります。何しろすぐ目の前の横長テーブルには、白いブラウスを着た池田晶子さんがマジックペンを置いて微動だにせず座っているのですから。

初めて目撃した池田晶子さんはもう、一目で「池田晶子」としか言い様のないオーラ、とか言いたくないな――何だろう、「それそのもの」でした。池田晶子純度100%。けっこう小柄とか、やっぱり美人とか、やっぱり怖そうとか、そういうことはどうでもよくなってしまうくらい、完全に、完璧に池田晶子さんだった。
僕は意をけっして列の最前列に並びました。すると、近くにいたファンたちもそろそろと僕の背後に並び始めました(結局、サイン会開始5分前には列はけっこうな長さになっていた)。

その時の池田晶子さんの姿を僕はずっと忘れないだろう。

彼女は瞼を開いてそこに座っていたけれど、その視線は僕を先頭とした長蛇の列には注がれていなかった。彼女はその空間の何をも見ていなかった。ただ、彼方にある(であろう)1点をじっと凝視していた。あのような不動、かつ謎を映した瞳を僕は現実においてこれまで見たことがなかった。

その時、彼女が『REMARK』という本に書いていた散文が突然腑に落ちたのです。ああ、あれは諧謔や比喩ではなかったのだ、彼女はこの目(eye≒I)で、この現世界を見詰めているんだ。地上の、宇宙の何処にいるかは全く関係ないんだ、と。

REMARK(双葉社)

6時になって、最前列の僕は池田さんの前に案内されました。

「こんばんは」とどうにか言って『人生のほんとう』を差し出すと、彼女ははっとしたように目を合わせてくれました。「サイン会」というこの世の状況設定に自分の意識をアジャストするのに苦心しているようにも見えた。

「たった今戻ってきたばかり」といった目で、「ああ、どうでしたか」と少し疲れたように言いました。

何と答えたのかよく憶えていません。すごく元気が出ました、とか何とか言ったのかな……とにかくしどろもどろにならないようにするのが精一杯だったと思う。

名前をサインしてもらってから、「こっちにもいいですか」。おそるおそるもう1冊(REMARK)を手渡すと、「これ読んでる人は珍しい」池田さんは意外そうに言いました。

何か気の利いたことを言えば良かったのですが、思い浮かばず、2冊にサインしてもらった後、ポケットから手紙を取り出し、「よかったら……ください」手渡しました。

「ありがとう」。池田さんはとくに驚いた様子もなく、微笑みを浮かべるでもなく、受け取ってくれました。たぶん、ぶしつけに読者が手紙を差し出してくることは、珍しくないことなのでしょう。
でも、こちらは真実ドキドキしていましたね。それは認めなきゃならない。その時の自分ときたら、アラサーにして、初恋の女性に手紙を渡したばかりの初心な学生みたいだった。

池田さんに渡した私信はわりに長文だったと思いますが、正直、ほとんど憶えていません。何しろ、徹夜で一気呵成に書き上げたものだったので、きっと今読んだら赤面するようなことも書いてあったはず。

だけどそんなこともどうでも良くて、僕にとっては対面する直前まで池田さんの瞳を見詰めていた時間。
それは1人静かに彼女の本のページを繰っている時のような、妙なほど、深い親しみにみちた時間だったのです。サインを書いてもらったり、握手したり、短い会話を交わしたことはある意味「ボーナス・タイム」みたいなものだったような気さえする。

数週間後、新刊の版元さんからEメールが届きました。びっくりして開くと、「池田さんがあなたの手紙に返信を書きたいと仰っているので、良かったら住所を教えてください」と。
そういえば、厚かましくも、手紙の末尾にメールアドレスをしたためたっけ……返信すると、数日後、池田さんから直筆の葉書が届きました。黒いボールペンで、サインと同じく筆圧高そうな、池田さんらしい字で。

僕が1番前に並んでいたことを憶えていること、あなたが得た認識をずっと手放さずに頑張ってください、といったことが書かれていました(その手紙は今も大切に持っています、もちろん)。

暮らしの哲学(毎日新聞社)

人生のほんとう?
それから半年も経った頃、池田晶子さんの訃報が届きました。

もちろん驚いたし、悲しかったけれど、何処かで得心もしていました。きっとあの時の池田さんは、自分がもうすぐ地上から離れることを識っていたのだ。そんな中、たまには「サイン会」をやってみるのも悪くないといった心持ちだったのかもしれない。あるいは、「ただやるべきこと」として、弱った身体を呈してやってくれたのかもしれない。

とにかく僕がここに書きたかったのは、『サイン会』という名の現実で一度だけ対面した池田晶子さんは、その著作を身と魂を以て体現している、最高に素敵な存在だったということ。
もうひとつは、好きな人と会える機会が巡ってきた時は、できれば躊躇せずに会ったほうが良い、ということです。

自分は来年、池田晶子さんが亡くなった歳を迎えます。 
僕も、誰も彼も、遅かれ早かれ、この世界に所属する時間はかなり限定されている。あの頃は「自分の死」なんてこれっぽちも考えられなかったのに、今、少しはそれがやわな指先で触れられるようになった気がする。気がするだけかもしれないけど。

この歳になって改めて池田さんの著作を読むと、当時と同じように、だけど少し違って感じる。「わかる」なんて言えないが、ああ、あれはこういうことだったのか、ちょこちょこ腑に落ちる箇所が増えた。でも、人生の不思議は、存在の不思議はいっそう深まるばかり。だからもう少し頑張ろう。この人生で。

「いずれ我々、宇宙の旅人」と、池田さんは遺作『暮らしの哲学』に書いていました。

失われるということはありません。失うと思っているその自分というものが、じつは存在していないもののようだからです。存在が存在し、すべては御縁でつながっているのだから、別れることを恐れるより、出会えたことの僥倖を味わいたいと、私は(誰は?)思うものです。(「彼」と出会えた奇跡)

今、たまたまここにある人生をできるだけ善く生きたい。今、たまたま生きているこの時間を一所懸命につとめて生きたい。そして、できるだけ「出会った」感謝を忘れずにいたいです。きっと「人生は死ぬ前のプレゼント」と感じるはずなので。

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