いちミステリファンの典型的な道程
昔から、古今東西のミステリ/推理小説に目がなかった。
ただ、自分が1日中推理小説を読みふけるような中学生に変化するまで、2段階ほどあったように思う。
入り口の入り口は、小学生の時に図書室で読んだ大家・江戸川乱歩が著したご存知『怪人二十面相』シリーズ。
おそらく、当時は(今も?)たいていの小学校の図書室に置かれていたのではないだろうか。
この有名作には、ミステリ/推理小説の3条件である「恐怖」「謎」「解決」が揃っていた。
レトロかつ独特な表紙や読みやすい文体に魅了され、自分は読んだ翌日から図書室に通い詰めた。
ただ、すこぶる面白かったけれど、小学校がお仕着せ的に用意した「安全な怪奇小説」という感じは否めなかった。(数年後、「心理試験」「魔術師」などで江戸川乱歩の本格ミステリ作家としての凄さに気づくのだが…)。
そして齢10歳の時にファミリーコンピュータ(通称「ファミコン」)でプレイした『ポートピア連続殺人事件』(エニックス)。このゲームが、自分にとってミステリ道への入り口を開いてくれた。
当時は猫も杓子もスーパーマリオ全盛期だったが、僕はこのゲームの方がずっと欲しかった。
今でも、昨日のように憶えている。母親はたまたま用事で都内まで出かけていて、深夜、母親が伊勢丹のゲームコーナーで買ったこのゲームを持って帰ってきたことに気づいた僕は、パジャマ姿ですぐに飛び起きた。
ありがとう!!!!!(ガシャッ←おもむろにファミコンにゲームソフトを挿す)
なにしろ小学4年生だったから、翌朝はもちろん学校が控えているのだが、待ちきれずに「最初の30分だけ」と母親に頼みこみ、結局、空が白むまでプレイした(翌日は寝不足でふらふらだった)。
それから、ますます「連続殺人事件」「●●の謎」といったゲームや小説に魅了されるようになる。
(ミステリ/推理小説や推理もののゲームが好きな方、ハマったきっかけ的作品などぜひ教えてください)
中学生になると、それまで「右に習え」で同じ流行りものを嗜好していた生徒たちの趣味が急に(現在ほどではないにせよ)細分化・多様化してくる。
とは言え、多くの男子生徒は少年マンガ雑誌(僕も『ジョジョの奇妙な冒険』だけは毎週待ちきれないほど好きだった)とちょっと背伸びして青年誌に没頭し、女子生徒は少女マンガ(りぼんから別マ、ちゃおなどへ移行)とアイドル誌(明星)、ファッション誌がメイン。
ちょっとニッチな読書好きになると(彼らはたいてい休み時間、自分の席で本を開いていた)、男子は『ロードス島戦記』や『アルスラーン戦記』、当時の女子の流行は寡聞にして掴んでいないのだけど——たぶんコバルト文庫や新井素子は人気だった気がする(当世風に言うところの「ラノベファン」の走りみたいな感じ)。
ただ、自分は人気マンガにもキャラクター小説にも純文学にも少女マンガにも、どれも好きなものが少しずつあったものの、そのジャンルに全面的にコミットできない「もどかしさ」を絶えず感じていたような気がする。何にも「ハマりきれない」というか……。
アガサ・クリスティとの出会い
そんな14歳の春。駅前の本屋(東西書店)でアガサ・クリスティ『ゼロ時間へ』(ハヤカワ文庫)を衝動買いしたのだった。
なぜクリスティ、しかも最初の1冊に『ゼロ時間へ』を選んだのかは思い出せない。
でも、結果的に僕はこの1冊でクリスティに対して、それまでの読書が戯れに思えるほど、深くのめりこんだ。
『ゼロ時間へ』がそれほど自分にフィットしたのは、推理小説としてのクオリティが申し分なく高かったことと(クリスティは冊数が圧倒的なぶん、「これはちょっと……」という作品もけっこう多い)、訳者が田村隆一氏であったことが大きかったように思う。その文章は翻訳物なのに、それまで読んだどんな小説よりも流麗で、常温の水のように自分によく馴染んだ(詩人・田村隆一氏の詩を読んだのはそれからずいぶん経ってからである)。
そうして中学2年生から、推理小説にどっぷり耽溺するようになった。
どのくらい耽っていたかと言えば、苦手な教科(数学や理科)の時間は教科書の裏に忍ばせ読んでおり、背後から教師に「ホリウチくん、今日も読書がはかどるね〜」と言われて初めて気づく(そして、こっぴどく叱られる)なんてことはざらだった。
自分は集中力があまりなくて、人目を気にするほうだとそれまで思っていたけれど、読み書きに対しては相当に「厚かましく、どっぷり」な性格である、という自分の特質をこの頃に初めて自覚したように思う。
中2でクリスティをほぼ全作読んでしまうと、クリスティに対して若干物足りなさを感じ始めた僕は、もう少しハードなものを求めるようになった。具体的に言えば、ディクスン・カー、ヴァン・ダイン、レイモンド・チャンドラー、日本の幻想推理小説(横溝正史、夢野久作、小栗虫太郎など)。
当時もらっていたお小遣い(本とCDレンタル代が主)は全面的にミステリ/推理小説代に回し、図書館も最大限活用した。
そんな流れで、今回紹介するエラリイ・クイーンを読み始めたのだった(前置きが長くてすみません)。
クイーンの希有な魅力
正直、エラリイ・クイーンの小説が自分にとってこれほど大きな存在になるとは思いもよらなかった。当時は他の推理小説作品に比べて「上品だけど地味だな……」などと感じていたように思う。
高校生になると音楽が自分の中で「かさ上げ」されて、推理小説を読む量はぐっと落ちたが、それでもクイーンだけは、全作踏破を目指してコンスタントに読んでいた。
エラリイ・クイーンの魅力について記すのは難しい。
きっと自分の書くものや読むもの、ものの見方にも強い影響を与えたと思うのだけど、長く読みすぎていて、どんな風に?と自分に問うてみても簡単には答えられない。また、執筆時期によって作風があまりに異なるというのも大きい(中にはゴースト・ライターが書いているものもある。そして、それがまた名作だったりするから困る)
日々同じコーヒーやビールを飲んでいると、それが他の銘柄のものと比べてどのようにおいしいかをうまく説明できなくなってしまう感じに近いか(喩えがイマイチだけど…)。
ただ、ひとつ思うのは、とくにクイーン後期の作品は自分にとって、世界と自分を調和させる上で有用なデフォルト・テクストだったということ。一時期は、被膜のように薄いエラリイ・クイーン・フィルターを通して世界を眺めているような感じがしたものだ。
その意味で、他の推理小説と違って、クイーンの作品は「ミステリ/推理小説」というよりは、自分と世界を挟む「緩衝材」的存在に近い(その意味では、幼少期から読んでいたスヌーピーの漫画本にも近いところがある)。
今でもしょっちゅう再読してしまうのは、クイーンを大量に読んだことで生まれた自分のコア(のようなもの)を再確認するためなのかもしれない。
そんなエラリイ・クイーンの中で、1冊だけ選ぶとしたらどれか?
(クリスティほどではないけど)多作かつ傑作揃いのクイーン作品から1冊選ぶのに少し迷った。
でもシンプルに、もっともたくさん読んでいる作品を挙げることにします。
国名シリーズやドルリイ・レーンシリーズも大好きだけど、僕にとって、クイーンと言えば後期作品。
それもライツヴィルを舞台にした『災厄の町』『フォックス家の殺人』『ダブル・ダブル』、そして本作『十日間の不思議』。
つらつら説明しても、未読の方はきっと楽しくないと思うので、簡潔に。
本作の特徴として、メインキャラクターの少なさが挙げられるだろう。
ライツヴィルという町の大邸宅に下宿している探偵(エラリイ)と、同じ屋根の下に住む家族——主人、妻、養子。その他に同居している2人(祖母と父の弟)はスパイスみたいなもので、基本的にはエラリイ+この3人だけで物語が展開する。
しかも殺人事件は全体の9割近くまで来て、初めて起こる(残り1割が解決篇に当たる)。
エラリイは(おそらく彼のキャリア上初めて初めて)事件を誤った道筋で解決してしてしまう(それは真の犯人が設計していた青写真をなぞったにすぎない)。
皆さんに(自分にも)問うてみたい。
推理小説の醍醐味とは何だろう?
意外な犯人? 意外な手口? 探偵の緻密なロジック? 最後の最後で判明するフーダニット? 入り組んだ人間関係? 巧妙なトリック?
おそらくその全てが当てはまることだろう。でも僕が推理小説にもっとも強く求めるものは(ここまで書いてきて思い当たったのだけど)魅力的な登場人物と「謎」の存在。その2つと一貫した巧みな文体さえあれば、どんな推理小説でも面白く読めてしまうようだ。当たり前と思うかもしれないけど、そうした推理小説は無尽蔵に存在するわけではない。
本作の緻密に書き込まれた人物描写と秘められた謎、そして抑制の効いた文体は僕を深く魅了した。
筋立てがシンプルで登場人物が少ないミニマムな構成によってだんだん高まっていく緊張感。
本作は「クローズドサークル的」舞台設定ではあるのだけど、被害者が1人、また1人……といった、古典ミステリの王道的展開にはならない。不吉な通奏低音を孕みつつ、基本的には屋敷内だけで静かに、来たるべき悲劇的結末へ、羊皮紙にひたひた滲むブルーブラックのインクのように静かに進行していく。その通奏低音はミステリ小説的でもあり、非ミステリ小説的でもある。この作品は、それまでクイーンが書か(書け)なかった純文学的な厚みを宿しているように思う。
もしこの世界にクイーンがいなかったら……なんて仮定は無意味だが、本作『十日間の不思議』がミステリ世界に、いや、文学界に与えた影響はけっして少なくないはず(実際、その影響を公言している作家はけっこう多い)。
そういうわけで気になる方、ぜひ読んでみてください。今年新訳が出たので、本屋さんにもたぶんあります(Twitterのフォロワさんに新訳リリースを教えて頂き、狂喜乱舞しました)。
この世界にはまだまだ自分が知らない面白いミステリや推理小説が山がいくつあっても足りないほどあるんだと思うと、もう少し生きていたい、生きていよう、という気持ちになれます。いやはや、本ってホントありがたいものですね。