夢の話

今更言うものでもないのだろうが、「夢」はかなり不思議な現象だ。
夢なるものと関わってからずいぶんと経つが、見ている時も、目覚めた後も、今でも心底そう思う。
ふだん、僕の見る夢は基本的に、かなりホラー寄りなのだが、それは自分の心の内側にある恐怖や不安を具現化してくれているはずなので、有り難いと思うべきなのだろう……か? 
古来より、夢は「自分の心の内側にある、自分でも自覚していなかった記憶や思いや感情を映像/物語化する装置」のようなものとして捉えられてきたきた。
本当にそうなのだろうか。
もし、夢の成り立ちや目的や効用(というものがあるとして)に、我々が全く思いも寄らなかったような、思いを馳せることもできないような「何か」があるとして、我々はその真実に自分で気づくことができるだろうか?
そんなようなことを、今朝思った(いつも思う)。なんというか、夢にはたいてい「振り回されっぱなし」である。

昔、友人が「夢って究極のプライベートだよね」と言っていた。
その時は、あまり考えずに「そうかも」と答えたが、本当にそうなのだろうか。
夢において、我々は個々に於て閉じ、底を抜けた場所に開き、何処か中央広場(のような場所)で繋がっているのかもしれない。とすれば、目覚めている時こそが究極のプライベートで、夢は、実は究極のパブリックなのかもしれない。
何にせよ、夢の話というのはどのような見地から語っても、憶測の域を出ない(だからあまり話したくない)。
しかし、見た夢は本人にとっては現実と同じくらい(あるいはそれ以上に)リアルなのだ。
何しろ、そのリアリティを大部分そのままに現実に持ち帰ることができる。そこが「死」ともっとも違うところだろう。

さておき、かねてより「人の夢の話」ほどつまらないものはないと思っていた。
でも歳を重ねてから、現実世界を取り巻いている話より、見た夢を聞く方がずっと興味深いと感じることが多い。
ただ、ある程度仲良くなって心を許さないと、ほとんどの他者は自分の見た夢を話してくれたりしない。
そして僕自身は、どれほど仲良くなっても、自分の見た夢を人に語ることは滅多にない。
(「夢の話なんて聞いても(聞く方は)面白くない」という思いこみが根深いからだろう)
でも敢えて、今日はなんとなく気が向いたので、僕が見た夢をなるべくざっと描写・列挙してみる。

地方都市のアミューズメントストア(古本、ゲーム、マンガ販売、CD/dvdレンタルなどが入っている)3階建てくらいのビルでなんやかや起こる夢。
そのビルの2階で僕は不良(って今はいないんですかね…)にしつこくからまれている知人をどうにか助けたり(小柄で茶髪の男と翌日、神社で「ナシをつける」約束をする)、持参した数冊の古本のうち、1冊を食べた(夢の中で、僕は紙をむしゃむしゃ食べることができる。山羊属性?)、その後外に出て、雨降る繁華街(ゲーム『龍が如く』に出てくる街のような…)を無目的に歩き回る。その後、乗った電車でたまたま遭遇したスリを車両の隅に追いつめるのだが、スリは不穏な笑みを浮かべている。

書いてみても、とりとめのない感じしかしない。
だが、僕にとっては現実と同じようにばっちりビジュアライズされていた。全体的に暗く、荒涼として、軽い不安感が通奏低音的に漂う、心躍るタイプの夢ではなかった。いつものように。

今日あなたはどんな夢を見ましたか?

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