マックス・レーガーという名の…

先日、拙stand.fm(https://stand.fm/channels/5f4bcb8b6a9e5b17f757af66)に、「アドルフ・ブッシュについて何か話してほしい」といったレターを頂戴しました。
それで、当初はその草稿のようなものを書いていたのですが、少し書いてから思い直しました。これは、そう簡単に話せるお題ではないぞ……と。

僕がアドルフ・ブッシュというドイツのヴァイオリニストを知ったのは、そこまで遠い昔ではない。
8年ばかり前、当時『名曲喫茶ライオン』で働いていた、名曲喫茶的先輩(と言うべきか)が貸してくれたコンピレーションCD。


SP音源をダイレクトに収録したもので、全トラックに味わい深い針ノイズが乗っている。
このアルバムの白眉と言える、シューベルト『幻想曲』やバッハ『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ』については、また別の機会に記したい。
今日はこの盤に収められた「ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ短調(作品84)」を書いたマックス・レーガーというやはりドイツの作曲家について。
「あれ、アドルフ・ブッシュはどうした?」といった声が聴こえてきましたが(幻聴)、おそらくはレーガーについてしばらく記してみることが、ブッシュに自然に繋がってくるような気がしたので……「迂回」というやつです。

マックス・レーガー
僕がマックス・レーガーという作曲家を聴いたのはこの「ヴァイオリン・ソナタ」が初めてだったのだが、僕はこれ1曲ですっかり「持っていかれて」しまった。
音楽というのは不思議なものだ。たった1曲聴いただけで、その作曲家が自分にとってどういった存在なのか、言葉ではない領域で掴めてしまう時がままある。
僕はこの曲でマックス・レーガーという作曲家の(自分にとって)のっぴきならなさを悟ると、さっそくブッシュが遺したレーガーの弦楽曲アルバムを購入し、クラシックマニアの伯父から昔もらったピアノ曲集を聴き、手に入れられる範囲でレーガーの音源をせっせと買い集めた。そして、深く聴けば聴くほど、レーガーの音楽世界にのめりこんでいった。
1人の作曲家に対して、それほど急にコミットしようとしたことはそれまでなかったように思う。

何故、そんなにマックス・レーガーにのめりこんだのか?

それについて、簡単に説明することはまだできそうもない。
ただ、レーガーの楽曲の殆どが、聴けば聴くほど、自分の似姿を象ったシェルターに入っているように心地よく、本来的と感じられた。酌んでも酌んでも酌み尽くせない滋養に溢れた醸造酒のように。

さて、マックス・レーガーはいかなる人物だったのか。

生まれつき作曲やピアノの才能に恵まれていたものの、戦争によるトラウマや生来の性格も手伝って、喫煙や飲酒を度を過ぎて嗜む、(相当に)巨漢の男だった。
享年43歳という年齢からは信じられないほど多くの、多岐に渡る楽曲(オルガン、室内楽、歌曲、ピアノ曲)を残した。
彼は自らをバッハ、ベートーヴェン、ブラームスに連なる偉大な作曲家の系譜に連なる存在と世間に認められることを切望したが、批評家から自作に関する辛辣な評を書かれると、相手を脅迫するような手紙を送り付けた。

こうして列挙してみると、人格には相当に問題のあったレーガーだが、ひとたび曲を書けば、誰も辿り着けない場所に「すとん」と下りることができた。おそらく自分の特異な才能に自覚的だったのだろう、彼はあらゆるジャンルの曲を書いて書いて、書きまくった。高く評価されるものもあったし、「なんじゃこりゃ」と無下にされたものもあった。

余談だが、件のヴァイオリスト、アドルフ・ブッシュはレーガーに出会うとすぐに彼に心酔し、その薫陶を受けた。彼が自ら作曲した楽曲(ピアノ曲とヴァイオリンソナタ)は、レーガーの作風にじつに酷似して聴こえる(正直、レーガーのような才気はまったく感じないが、まったく「悪くない」)。
レーガーの作風を無理矢理カテゴライズするなら、所謂「後期ロマン派」に入るのだろう。ポジション的にはブラームスとマーラーを架橋する、オルガン曲で最も有名な、器用で破天荒な多作家、ということになるのかもしれない。
が、個人的には、彼をそのように安易にカテゴライズしたくはない。
次回、レーガーについてもう少し深く掘り下げてみたい。

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