このたび、『名曲喫茶月草』の閉店日(2020年12月12日)に併せて、堀内愛月(元店主)は、詩集『月草夜想詩集』を刊行しました。
このことは、8年前に名曲喫茶を開けた時と同じく、自分が「成さねば」と思えた大きな挑戦であります(いささか大袈裟に聞こえるかもしれませんが…)。
僕がこの『月草夜想詩集』をもっとも届けたいのは、「詩に飢えている人」です。
また、無名のいち詩人である僕が、無名のいち詩人のために、この詩集刊行によって、小さな懐中電灯でしか確認できないような小道でも——照らすことができたら、これに勝る喜びはありません。
『月草夜想詩集』は当ONLINE SHOP以外に、下記の都内書店さまで扱って頂いております。お近くの方は、ぜひ店頭で手に取って頂けると嬉しいです。
『ジュンク堂書店池袋本店』(池袋)
『増田書店』(国立)
『点滴堂』(三鷹)
『百年』(吉祥寺)
『今野書店』(西荻窪)
と、これだけ書ければ本望なのですが、僕が詩集を刊行した理由について、もう少しだけ書きます(ご興味ある方はぜひ読んでやってください)。
母について
僕の母・堀内博子は、若かりし頃、「気鋭の詩人」でありダンサーでした。物心ついた頃、美術館やさまざな舞台での母の公演について回った、不思議な記憶がずいぶんとたくさんあります。
1970年代初頭、吾国における詩世界は当時の日本文学や舞踏世界とリンクして、今よりもおそらくはずっと盛んで——詩が売れるマーケットも現在と比べると、ささやかながら形成されていたようです。
母が書いた詩は『花椿』や『現代詩手帖』などに掲載され、批評家からも賛美されました。
「感覚の糧 精神の糧」(現代詩手帖より)
そんな母がある時期を境に、ダンスの世界から遠ざかり、1980年代後半からは子(僕です)育てと、兄姉たちと始めたカフェ『ガラス玉遊戯』での仕事に専念します。
そんな多才な母の元に生まれた僕ですが、ダンスにも、詩にもさしたる興味も才も持っておりませんでした。幼い頃より喫茶店と小説が好きで、若葉の頃は読み耽っており、その流れで大学も何も考えずに文学部に進みましたが、詩を積極的に読んだり、自分で書くようになったのは、ずいぶん後のことです。
しかし1年半前、ある春の夜を契機に、「詩を書かねば」といった自然な欲求が自分の内に自然に芽生えたのです。
それから憑かれたように、1年で50篇以上の詩をしたためました(そのうち41篇が、今回出版する詩集『月草夜想詩集』に収められています)。
このように、母からの影響や名曲喫茶『月草』の閉店など、今回の詩集の刊行について自分なりに思うところはあるのですが、もっとも強い動機は、
「無名の詩人が作った詩集を、殺伐とした現世界においてどれだけ多くの人の心に届けることができるのか」そんな無体な挑戦をしてみたい、というものです。この気持ちは8年前に「名曲喫茶」という、時代とかなり逆行した喫茶店を開いた時の気持ちと、おそらく同質のものであるようです。
長々と失礼いたしました。
ここまで読んでくださった方に、拙著『月草夜想詩集』をぜひ手に取ってみてほしいです。
「中を見てから」という方のために、短めの詩篇(見開きに収まらない長めの詩も多く収められています)を4篇貼っておきます。ひとつでもお気に召した詩がございましたら、嬉しいのですが。
「毬藻の心」
「波音と婚姻届」
「憂鬱な軌跡」
「俺はまだ震えている…」
僕の渾身の詩集、『月草夜想詩集』をどうぞ宜しくお願いいたします。
堀内愛月