メンデルスゾーン「無言歌集 作品53 ト長調」

「あなたにとって、とくべつなピアノ曲は何?」

誰かにそう訊かれたら(あまり訊かれないが)、ひとまずフランツ・シューベルトの後期ピアノ・ソナタを挙げるだろう。

或るピアニストを初めて聴く時、そのピアニストが——現役であれ故人であれ——シューベルトのピアノ・ソナタを録って(遺して)いたら、最初に聴かないわけにはいかない。それが長い習慣となっている。

シューベルトのピアノ曲がごく個人的に好き。それも間違いなくある。
が、それとは少し違う次元で、僕にとって、シューベルトのピアノ・ソナタはそのピアニストを掌握するための「座標軸」のようなものと感じる。
聴けば、そのピアニストの有り様とか、技術(錯覚かもしれないが、あくまで自分内尺度で)、何を「よりしろ」としているか? みたいなことが、じわじわと掴めてくると言うか。
そんなシューベルトのピアノ・ソナタは僕にとって、プロジェクターから投写された映像を受け止め、大きく映し出すスクリーン(あるいは洗いざらしの生成りのシーツ)のような存在であるようだ。

これを読んでくださっている方も、きっとそんな演奏家や楽曲をお持ちだと思う。
歌曲ならシュワルツコップとギーゼキングのモーツァルト。四重奏ならバリリ。オーケストラなら「第9から聴くと決めている」(そんな知人が実際にいる)。
それを聴けば、その作曲家/演奏家と自分との関係が定点観測できる……そんな曲が1曲あると、広大なクラシック世界を航海するコンパスとなってくれる。

いささか前置き長くなってしまったけれど、今回紹介するアンドラーシュ・シフというピアニストも、シューベルトのピアノ・ソナタを全曲録音している数少ないピアニストの1人である。
この記事を記すにあたって、シフの弾くシューベルトを改めて聴き直してみた。
その後、Apple Musicで最近のコンサート(バッハ『平均率クラヴィーア』全曲)を見つけ、じっくりと観賞した。うーむ、すっかり老齢の威厳あるピアニストに成られていて驚いた(おまけに素晴らしい演奏だった!)。

アンドラーシュ・シフの”The Well-Tempered Clavier, Book I: Prelude and Fugue in C Major”ミュージックビデオ – 2020年 – 3:36music.apple.com

僕の中で、アンドラーシュ・シフと言えば、ハンガリー生まれのイケメン・ピアニスト(この呼び名はなるべく使いたくないのだが…)三羽烏の1人として華々しくデビューし、吾国の実力派ヴァイオリニスト・塩川悠子さんと結婚された、いかにもナイーヴで思慮深そうな、確かなテクニックに裏打ちされたピアニストといった印象で止まっていた。この写真の若く精悍な佇まいのような。

画像1

しかし現在クラシック世界においては、アシュケナージ亡き今、老いをものともせず精力的に活動している指揮者であり、指導者であり、まったき「重鎮ピアニスト」として周知されているようだ。時の流れは、かくも速い。

話を戻そう。
アンドラーシュ・シフの弾くシューベルトピアノ・ソナタは掛け値なく瑞々しく、優しい演奏と感じていた。ルドルフ・ゼルキンのようなごりごりとした無骨さとはほど遠い。ヴァレリー・アファナシエフのような蠱惑的な調べでもなく、アルフレッド・ブレンデルのように、王道的、かつ融通無碍な演奏でもない(彼らの奏でるシューベルトについてはまた別の機会にたっぷり記したい)。

では、何があるか?

無理矢理に言葉にするなら、「濃まやかな優しさと心配り」だろうか。
論より録音、シフ氏の弾くシューベルト・ピアノ・ソナタ20番。

https://open.spotify.com/embed/track/639Iy2UrT5DEXpdhhmeLYm

シューベルト20番をこんな風に弾くシフのメンデルスゾーンは、「もしシフが『無言歌集』を弾くとしたらこんな風な演奏ではないか?」僕が想像していたものとかけ離れてはいなかった。
しかしその想像を遥かに上回る、凄まじい演奏であった。

https://open.spotify.com/embed/playlist/5PdDGg6A4FuTX8OF5q2wCN

圧巻の演奏と言って良いと思う。左手の装飾音の解像度とか、抑制しているのに此の曲の持つ「根の烈しさ」をまるで失っていない、とか、そんな風に逐一分析することが、聴き終えるとすっかり馬鹿らしくなってしまうほど素晴らしい。
メンデルスゾーンが表現したかった(であろう)ニュアンスを余すところなく、しかも押しつけがましいところは全くなく、充全に伝えきっている。

「プレスト・アジタート(胸騒ぎ)」という副題が付けられた、この「作品53番 ト長調」。烈しさと甘さと若々しい諦念が同居していると感じる。
ただ、この「プレスト・アジタート」というタイトルはメンデルスゾーンが名づけたものではない。
全48曲の『無言歌集』には各曲に副題がついているが(「春の歌」「追憶」「別れ」など)、これらはメンデルスゾーン死後、楽譜出版社がつけたものが殆どであるようだ。
それでも全曲聴いてみると、「もっと相応しい副題があるのでは……」といった趣もあるものの、ほぼ納得感がある。だって、このト長調を聴くと確かに胸がざわざわ騒ぐもの。春の嵐に遭遇した「やわ」な心のように。

余談ですが、「甘い思いで」とか「春の歌」などの副題をメンデルスゾーンが知ったら、きっと怒るんじゃないかしら。メンデルスゾーン自身は、楽曲に副題をつけることを「イメヱジを限定してしまう」と言って厭がっていたそうで。
「もっとも」と思います。

目次
閉じる