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ヘンデル「オルガン協奏曲 第11番」

皆さんにとって「究極の1曲」は何ですか?

のっけからかなり無粋な質問をしてしまった理由は、昨夜、稀代のクラシック評論家・吉田秀和氏の『私の好きな曲』(筑摩書房)を読み返していたら——この本は何度読んでも尽きることのない滋養がたっぷり含まれているので、ずいぶん長いこと愛読しているのですが——その冒頭で、吉田氏が「西洋音楽でもっとも偉大な1曲を選ぶとしたら何か?」について迷わずに答えており(それが誰のどの曲であるかは読んで確かめて頂ければ幸いです)、なるほど……と得心した後、では自分の場合は何だろう?
思わず考えこんでしまったからに他なりません。

しかしながら、「偉大な曲を1曲選ぶ」というのはあまりに敷居が高かった。自分にはそれについて述べる資格も知識も感性も未だ有していないように思われるので……(いつかきっと)。

でも、「好きな曲」についてなら、こうして(どうにか)10曲選び、それらについて(どうにか)つらつらしたためることができます。
でも(2度め)、よくよく考えてみるとこの「好き」というのは相当に摩訶不思議な感情ですね。自分でも、いったいどうしてその曲が好きなのか? 簡単に述べることはできません。でも、さもないと、
「好きだから、好きなのです。それ以上に理由はありません」
たった1行で終わってしまいます。
このうまく言葉にならない、でも胸に濁流がごうごう渦巻いているような感情は、在りし日の恋心に酷似しているようにも思われます。そうか、好きな音楽に対する気持ちは恋なのだ……。
それで良き哉と言えば良き哉ですが、せっかくそれほど「好きな」楽曲を公開しているのですから、1曲1曲について何かしら自分の言葉でしたためておきたくなります。私はそういう性質(たち)であるようです。
吉田秀和御大のように、1篇読み終えるたびに、新たな発見と煌めき、音楽を聴くことの喜びと読むことの愉悦が相乗し、精神を烈しく鼓舞してくれるような文章は書けないとしても、それでも。

そういうわけで、またしても前置き長くなりましたが、今日は僕のごく好きな曲、ヘンデル「オルガン協奏曲」について少しだけ書きます。「少しだけ」というのは、今日はあまり長く書ける気がしないので。理由は……訊かないでください。花に嵐の喩えもあります由。

ヘンデルといえば?
かねてより、吾国ではヘンデルを「音楽の母」という呼称で広めようという企みが為されてきました。
それが果たして功を為したのか為さなかったのか……僕には判じかねますが、それはかのヨハン・セバスチャン・バッハと比較し、このヘンデルがあまりに(とくに日本での)知名度が低いため、「このヘンデルという作曲家はバッハに比肩するくらい偉大な作曲家なのだぞ(だからもっと聴け)」というクラシック音楽業界の苛立ちがこのような没個性的な呼称を生んだであろうことは想像に難くありません。

けれど、もっともと言えばごもっとも。だってヘンデルと言えば……まっさきに脳裏に浮かぶ曲は何でしょう? 
おそらく普く知られているのは、毎年クリスマスに様々なアレンジで流れるオラトリオ。そして当楽曲制作時、雅な楽団が舟の上で演奏したことで知られる「水上の音楽」あたりでしょうか。

僕も恥ずかしながら(いや、恥ずかしがらなくて良いか)「水上の音楽」が大好きです。数年前、ワーナー・クラシックさんからヘルベルト・フォン・カラヤンのベスト盤を選曲させて頂くという僥倖を得た時も、第2楽章『Air』はどうしても外せませんでした。カラヤンとベルリン・フィルが奏でる、清澄な水の流れそのもののようなこの演奏に、ささくれだった心を幾度となく励ましてもらったので。

また、オペラを聴かない方でも、かの麗しき『セルセ』や、吾国の誇るソプラノ歌手・森麻希さんのヘンデル楽曲における見事な歌唱はお聴きになったことがあるやもしれません。
ちなみに僕がヘンデルの曲を初めて聴いたのは(「これがヘンデルか」と初めて認識したのは)30歳を過ぎてからです。曲は間違いなくこの「オルガン協奏曲第11番」でした。オルガン奏者はカール・リヒター。こちらも四の五の仰らず(失礼)とにかく耳を傾けて頂きたい。厳粛なアトモスフィアの中にリヒターならではの熱情と勢いが感じられて素敵。

そして、当プレイリストの演奏者はマリー・クレール・アランさん。
おそらく、現代において彼女を知らないオルガン奏者はまずいないはず。そのくらい偉大な……あ、この言葉は封印してるんだった。ワン・アンド・オンリーな方です。まるでオルガン神が転生したんじゃないかってくらい。その演奏スタイルはリヒターさんとは様々な意味で真逆であるように僕には思われます(リヒターさんとアランさんの演奏スタイルの違いについてはまた場を改めて書きます)。
私事ですが、僕はこの人のオルガン演奏を週に1度はじっくり聴かないことには心が落ち着かず、しょっちゅう名曲喫茶で流していました。中でも大好きな演奏、バッハ『主よ、人の望みの歓びよ』を最後に。
(多くの人にとってそうであるように、バッハは自分にとって特別すぎて、今回1曲もプレイリストに入れられなかったので。この気持ちは何だろ……名付けがたい)。

早いもので(遅いもので?)、次回で当ライナーノーツも最終回となります。曲はドヴォルザーク「Songs My Mother Taught Me(母が教えたまいし歌)」。チェロ奏者はパブロ・カザルス。ああ、すでにして名残惜しい気持ちがじわじわとこみあげてきました……。

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