『Tsuki-Kusa-Record』A面(ピアノ曲篇)のラスト曲はフレデリック・ショパンの「エチュード(新しい練習曲)第3番」。(※こちらの楽曲、最近Spotify/AppleMuicから削除されてしまったようです……(涙)。Youtubeなどで見つけ次第、改めてリンクを貼りますので、しばしお待ちを…。)
今日はこの可愛らしい小品を小粋に弾きこなす、イタリアはナポリ生まれのセルジオ・フィオレンティーノについて。
もし宜しければ、こちらの楽曲を聴いてから(あるいは流しながら)読んで頂けると本望です。ガブリエル・フォーレ歌曲『夢のあとに』。
ショパンのエチュード同様、短くも美しい小品です。
フィオレンティーノ自身によるピアノ編曲。一音一音にロマンティシズムが結晶化したような、繊細かつ馥郁としたタッチに、セルジオ・フィオレンティーノの為人が現像しているようにも感じられます。
ブログ(ライナーノーツ)に動画や楽曲再生リンクを埋めるのがあまり好きではないので、なるたけこの1曲のみに留めておきますが、正直、このフィオレンティーノ氏については、クラシック・ファンにもあまり周知されていない名演奏がかなり多いように(僭越ながら)見受けられるようです。
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリやマウリツィオ・ポリーニ、同じイタリア出身のピアニスト大家と比べると、その知名度はあまりに低いと言わざるを得ません。
『ベルリン・レコーディング』という名の……
たとえば当プレイリストの冒頭に収めたシューマン「幻想曲」からほとばしる唯一無二の煌めき(大袈裟ではなく、この演奏を超える幻想曲を未だ聴いたことがありません)。シューベルトの初期ピアノ・ソナタの雪解け水のように澄みきった演奏。
そして個人的にのっぴきならない1曲はフランクの「コラールとフーガ」(ピアノ編曲)。
まだフィオレンティーノの名を知らなかった数年前、アルフレッド・コルトーの演奏で長く親しんでいたこの曲を初めて耳にした時(常連お客さんの持ち込みリクエストだった)、電流の如き衝撃が身体中に流れました。
閉店後、後片づけもせずにシャッターを閉め(滅多にないことです)、1万円札を握りしめて彼のCDを買い求めるべく近所のクラシックレコード店に走りました。この演奏家のありとありとあらゆる演奏を聴きたくて聴きたくて、居ても立ってもいられなくなってしまって。
10枚入りのボックス・セットを(値段も確認せずに)購入し、店に戻って頭から順繰りに聴いていきました。全部聴き終えると、窓の外はいつのまにか白み始めていました。初めて知ったピアニストに、これほどまでに精神を突き動かされたことはグレン・グールド以来だったように思います。
私が購入したこちらのボックス・セットには、件のフランク「コラールとフーガ」を含む、珠玉の演奏がCD10枚ぶん収められていました。演奏者の情報やクレジットをつい疎かにしてしまいがちな僕は、このアルバムは彼が生涯かけて為した仕事を取り纏めたものだろうと決めつけていた。
でも、それは大きな間違いでした。このボックスセットが彼のベスト・アルバムや「メモリアル」「全集」の類いではなく、1994年〜1997年のたった3年の間に一気呵成に収録されたものと知って驚きを禁じ得ませんでした。
この時期のフィオレンティーノは、若かりし日に絶たれた「世界をまたにかけるピアニスト」を60代の終わりにして目指し、ナポリの自宅で急死する直前まで精力的に弾きまくっていたそうです。
老齢になって、円熟ではなく、数多の若手ピアニストを凌駕する強烈な溌剌さと、めくるめく万華鏡のように幅広い選曲で聴き手を圧倒してみせる。
こんなピアニストがかつていただろうか? こんなアルバムがかつてあっただろうか? 少なくとも私は寡聞にして知りません。
フィオレンティーノのスワン・ソング
それにしても何故、これほどの技術とセンスとエナジーを兼ね備えた稀代のピアニストが、壮年期に(録音であれ、コンサートであれ)積極的に演奏を行ってこなかったのでしょう?
演奏家にとって、もっとも油が乗っている(と言われる)壮年期にフィオレンティーノは数年を除いて、外的な音楽活動をほぼ全く行いませんでした。
先ほども少し書きましたが、フィオレンティーノは若かりし頃に大事故により、ピアニストとして世界に羽ばたく夢を1度は絶たれています。
事故後、彼は(おそらく)悩んだ挙句、彼は母校ナポリ音楽院で教鞭を取り、若手ピアニストの育成に励むことを選んだ。そこには彼なりの苦悩や決断が多分にあったと考えるのが自然でしょう。
そして数十年が経ち、60代半ばを過ぎた時、彼は今一度まったき「ピアニスト」を目指した。しかしこの『ベルリン・レコーディング』に収められた、質量ともに凄まじい演奏を次から次へと録った後、長患いすることもなく、唐突にこの世を去ってしまった。
ファンもショックだったでしょうが、(もし死者が驚くことができるなら)フィオレンティーノ自身が誰より驚いたのではないでしょうか。
何しろ、レコード会社と専属契約し、各国で行うコンサートの準備をせっせと整えていた矢先だったと聞きます。彼の死を想うと、若かりし頃に潰えかけた夢を老齢になって再び叶えられる期待と喜びに胸を膨らませていたのではないかと安易に想像し、やるせない気持ちに襲われます。
しかし我々としては、フィオレンティーノが人生の最期に一念発起して凄まじい演奏を「録音物」として遺してくれたことに、心より感謝するより他ありません。
が、これほどまでに素晴らしいアルバム『ベルリン・レコーディング』が、何ということでしょう! 現在CDは絶版となっております。これには控えめな(たぶん)僕も苦言を呈さないわけにはいきません。この名演奏がサブスクリプションやyoutubeでしか聴けないなんて、クラシック音楽の神が知ったらさだめし激怒することでしょう。むしろ時期ごとに分けて、ヴァイナルでもリリースするのがクラシック音楽業界の責務というものです。
そういうわけで、ナポリの誇るセルジオ・フィオレンティーノ氏の全作品が、近く改めてリマスター/再発売されることをいちファンとしてはせつに願うばかりであります。
ショパンの「新しいエチュード」
冒頭に書いたように、ここまでの選曲は楽曲を先に決めてからピアニストを選んできたのですが、此のフィオレンティーノのみ、後で収録曲を決めました。
でも、上記の『ベルリン・レコーディング」からはとてもじゃないけど選べなかった。というのは、この盤はどの演奏もあまりに素晴らしすぎるから。このアルバムの中から1曲を選ぶのはとても無理でした。ご理解ください。
それで、拙プレイリストの「インタールード的役割」を担ってくれそうなこちらの「新しいエチュード」を選びました。
私はショパンとこのエチュードを軽んじているわけではけっしてありません。可憐で、ショパンらしい工夫と技巧に富んだこの曲が昔からずいぶん好きです。
が、このプレイリストに関して言えば、フィオレンティーノ氏が奏でたものであれば何でも良かったのかもしれません。とにかく、敬愛するフィオレンティーノが小粋に弾き流すショパンを無性に入れたくなってしまった。それだけのことです。
最後に、フィオレンティーノ氏の演奏でも数少ない動画を。
ラフマニノフ「ヴォカリーズ」。ピアノ編曲は冒頭のフォーレ「夢のあとに」同様フィオレンティーノ自身。
「折り目正しく端正な」などと言った賛辞は相応しくありません。ピアノの音色から彼の「唄」がはっきりと聴こえてくるようなこの演奏、私にはその半分以上が「夢」の領域に属しているように感じられるのです。
次回からB面(室内楽篇)のライナーノーツに(ようやく)入ります。残り5曲、宜しければ最後までお付き合い頂けると嬉しいです。