『Tsuki-Kusa-Record』ラスト曲は、アントニン・ドヴォルザークが1880年に作った『ジプシー歌曲』から、おそらく最も有名な『Songs My mother Taught Me(母の教え給いし歌)』をご紹介します。
まず、オリジナル歌曲の紹介から。
お時間がありましたら、20世紀を代表するソプラノ歌手の1人、ネリー・メルバさんの素敵な歌唱をお聴きください。Nellie Melba – “Songs My Mother Taught Me” (Dvořák)Melba sings the Dvořák song from a poem by Adolf Heyduk. Victwww.youtube.com
原曲はチェコ語ですが、ドイツ語翻訳はドヴォルザーク自身が行ったそうです。
Als die alte Mutter mich noch lehrte singen,
tränen in den Wimpern gar so oft ihr hingen.
Jetzt, wo ich die Kleinen selber üb im Sange,
rieselt’s in den Bart oft, rieselt’s oft von der braunen Wange.年老いた母がこの歌を教えてくれる時
しばしば涙を浮かべていた
今、ジプシーの子らに同じ歌を教えながら
私の褐色の肌に涙がこぼれる
年端もいかない3人の実子を亡くしてしまったドヴォルザークがこの詩に打たれ、訳し、曲まで付けたその気持ちを思うと、強く胸が打たれます。
しかし、この曲は今やいち作曲家・個人の想いを超えた、普遍的な名曲として屹立しているのですから——その優美かつメランコリーにみちた調べを素直に味わいたいものです。
ちなみにこのプレイリストではオリジナルのアレンジ(ピアノ歌曲)ではなく、パブロ・カザルスの手によるチェロ独奏版を収録しています。
以下、このカザルスについて少し書いてみます。
新たなチェロ奏法の発見
私の大好きな指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー氏はカザルスについて、以下のように言い切ったそうです。
「カザルスを聴いたことがない者は、弦楽器をどう鳴らすかを知らない者である」
え、そりゃ、カザルスが相当偉大なチェリストであることは知ってるけど……そこまで言ってしまって良いの?と思われる方も中にはいらっしゃるかもしれません。
良いのです(確信)。
何しろ、カザルスは20世紀におけるチェロ奏法そのものを「再発明」したのですから。控えめに言って、もしカザルスがこの世に存在しなかったら、20世紀に生まれた殆どの無伴奏チェロ曲はこの世界に誕生しなかったことでしょう。
カザルスはチェロを始めたばかりの頃、師であるホセ・ガルシア師より、古来より綿々と伝えられてきた伝統的チェロ奏法を伝授されました。
「だが、ある時、これ以上先に進むなら、この弾き方をすっかり変えなければならないと悟った。それは名技性とは無関係であり、あくまで、音楽的な完全性を目指すためのものだった」(カザルス)
師から譲り受け、長らく研鑽してきた奏法。
本来ならカザルスの弟子へ、そのまた弟子へと伝えるべき奏法を、或る曲との出会いによって全くオリジナルなものに変えてしまった——そして12年もの歳月をかけて研鑽を積み、新たな模範となる奏法として定着させた——楽器を弾く者でなくとも、カザルスの巨大な勇気と「こと」の重大さは伝わるでしょう。
もし(「もし」ばかり連ねるのはいささか気が引けますが)カザルスがこうして伝統的な奏法を覆さなければ、チェロの弾き方はヨーゼフ一門によるヴァイオリンの伝統的奏法を模倣したものに、今でも——とは言わないまでも、長いこと留まっていたであろうと言われています。
バッハ『無伴奏チェロ曲』の発見
カザルスは「これは練習曲に過ぎない」と、それまでほとんど見過ごされてきたバッハの『無伴奏チェロ曲』譜面をバルセロナ港町の楽器店で文字通り「発見」し、世界で初めて全曲演奏・録音することによってこの楽曲の唯一無二性を証明してみせました。
そして晩年、著書『喜びと悲しみ』(新潮社)で、以下のように記しています。
「私は驚きの目をみはった。なんという魔術と神秘がこの表題に秘められているのかと思った。あれは私が13歳のときだった。しかしそれから80年間、発見の驚きは増し続けるばかりだ」
(パブロ・カザルス著『喜びと悲しみ』)
前述したように、カザルスが全く新しいチェロ演奏法を編み出したのは、13歳の時に発見したこの『無伴奏チェロ曲』を完璧な形で演奏するためでした。それから80年、同曲を磨き続けてきたという事実を前に遥かな気持ちに襲われます。
おそらく世界でもっとも聴かれてきたであろう、カザルス演奏による「無伴奏チェロ曲 全集」に対する好き嫌いはあるやもしれません。しかし、今ではひとつの楽曲形式として定着している「無伴奏チェロ曲」が、ヨハン・セバスティアン・バッハという偉大な作曲家とパブロ・カザルスという演奏家によってこの世界に今も顕在していることは、いつでも心の隅に留めておきたいと思います。
指揮者としての挑戦
さらにパブロ・カザルスが為した、見過ごされがちな偉業があります。
指揮者としてのいくつかの為事です。こちらはカザルスが遺した演奏と比べると、いささか過小評価されているようにも思えます。というのも、カザルスはずいぶん老齢になってから、彼をリスペクトしていたルドルフ・ゼルキン氏の誘いでマールボロ音楽祭管弦楽団の指揮者に就任したため(カザルスの年齢/こうした経緯で指揮者になることは通常ありえないことでした)、指揮の技術・知識においては素人に近かったそうです。
実際、就任初期はカザルスの指揮に対して「カザルスさんは指揮棒ではなく、チェロを振っていればいいんだ」(ソース不明)などといった、この巨匠に対してずいぶんと失礼な発言をした楽員もいたと言われています。
でも、実際にコロンビアに残されたレコード(ベートーヴェン、モーツァルト、メンデルスゾーン……その数はけっして多くありません)に耳を傾けてみると……どうでしょう。
そこにブルーノ・ワルター、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤンらのタクトによる名演奏(それも筆舌に尽くし難いほど素晴らしいものばかりですが)からはけっして感じられない、荒々しく、はちきれんばかりの生命が宿った作曲家の息吹がひしひし感じられるのは私だけではないはずです(就任当初はカザルスを認めていなかったマールボロ管弦楽団員たちも、全リハーサルを終えると、その態度をすっかり改めたそうです)。
とくに個人的な究極はカザルス指揮/マールボロ音楽祭管弦楽団によるモーツァルト交響曲第40番と41番(ジュピター)。
こちら、名曲喫茶でかけていたレコードはすっかり擦り切れてしまいました……。
Songs of the birds(鳥の歌)
最後に。皆さんにとって「母が教え給いし歌」はありますか?
僕にとって、まっさきに浮かぶ曲は「ねんねんころりよおころりよ」でもなく「森のくまさん」でもなく、パブロ・カザルスによるスペイン・カタルーニャの民謡曲「Songs of the birds(鳥の歌)」です。
(ここまでお読みになって「もしやこの曲を最後に紹介するために、カザルス演奏の「母の教え給いし歌」を入れたのか?」と思われた方、力いっぱいの拍手を送らせて頂きます。ご名答です)
1971年10月24日、86歳を迎えたカザルスはニューヨーク国連本部で演奏した際、アンコールにこの曲を演奏しました。生粋の平和主義者であるカザルスの願いのこもったスピーチは(演奏とともに)永久に残り続けることでしょう。カザルスの言葉と「鳥の歌」が、この剣呑な現世界にも大きく響き渡りますように……!
「The birds in the sky, in the space, sing, “peace, peace, peace”.」
「鳥はこの空で、この宇宙で、ピース、ピース、ピース」と歌うのです。
僕はバッハ『無伴奏チェロ曲』やモーツァルトの交響曲よりも、パブロ・カザルスの名よりも先に、この曲を知りました。
私事ですが、1970年から80年代にかけて、僕の母は舞踏家として活躍していました。この曲は当時母が公演に使っていた曲で、幼い頃から耳と心にとびきり色濃く焼きついています。
そういうわけで、僕にとってはこの「鳥の歌」が「母の教え給いし歌」です。いつ聴いても無心になり、青く広々とした空を黒い燕たちが、この世界に生を受けたことの愉悦を感じながら飛び回っている——そんなシンプルで美しい光景が、目の前にまざまざと浮かんでくるようです。
いつかこの世を去る時、この曲を思い出す可能性はけっこう高い気がします。そんな曲を遺してくれたカザルス氏と、教え給いし母に心からの感謝を。
さて、プレイリスト『Tsuki-Kusa-Record』ライナーノーツも今日でようやく最後を迎えました(全曲ぶん書くのに1ヶ月かかってしまいました……)。
ここまでお付き合いくださって、本当にありがとうございました。皆さまのそばにいつでも心やすいクラシック音楽とおいしいコーヒーがありますように。そして世界が、数多の鳥たちともに、善い方へとまっすぐに導かれますように。心から祈っています。
2020 11.11 名曲喫茶 月草 堀内愛月